HOME 健康英知研究所 (旧称  健康英知研究所)代表 斉藤英治

●映画「おくりびと」(アカデミー賞受賞)の原著「納棺夫日記」を読んで〜現代の生と死を考える

★1.はじめに〜「納棺夫日記」から、現代の死生観を考える

アカデミー賞を受賞した「おくりびと」の原作となった「納棺夫日記」」(青木新門著、文芸春秋)を読んでみた。15年前、俳優の木本雅弘さんが、この本に出会い、映画「おくりびと」が誕生した。ついには海外でも共鳴を得て、アカデミー賞を受賞した。同賞を受賞した理由は、日本人の死に対する自然な考えや、死者を大切にする考え方に世界が共鳴を覚えたためといわれる。

そこで、私は、この原著となった本を読んでみた。映画は、私の近くの映画館に来た時ぜひ見てみたい。なかなか奥深い味わい深い本であった。

この本が書かれた経緯について簡単に述べると、著者の青木新門氏は、地主の長男として生まれ、家が没落するとともに、もともと詩人であり、作家でもあった氏は、自分で飲食店を立ち上げ失敗した。氏は収入が途絶えたとき、奥さんから突きつけられたチラシに葬儀社社員募集と書いてあって、それに応募することとなったのがきっかけである。

アルバイトのつもりで、入った葬儀屋の中でも、これをやってと言われたたのが、遺体を湯潅、納棺する仕事であった。つまり、遺体をアルコールで拭き、白衣を着せ、顔を整え、数珠を持たせ、納棺するまでの一連の仕事だ。そのような仕事をやった当時は、死は忌み嫌うもの、遺体は穢れたものと思われ、親類からも嫌がられた仕事であったようだ。

しかし、氏はその仕事を何度も行ううちに、多くの遺体の顔は安らかであることを発見し、また、その仕事をして感謝されたことも大きな動機となり、また詩人らしく、孤独死して一ヶ月もたった遺体の納棺の仕事をしたとき、その遺体に蛆虫が群がっていたとき、蛆虫の生命と美しさに気づき、近くに飛んでいたトンボが卵いっぱい抱えて弱弱しく飛んでいたのを見て、生命の連綿とした繋がりを感じて、やがてその死んだ遺体の尊厳と納棺する仕事と大切にして一生懸命にするようになった。

ここにも、汚らわしいと一般に思われていた遺体や死、納棺という仕事のなかに自然の流れとしての尊さと美を見いだし、見事に、自然な美しい「道」にする本来の日本人らしい氏の素晴らしさを見ることができる。これを映画化した「おくりびと」が世界で理解され、アカデミー賞受賞に耀いたのも、世界の意識の進化が背景にあるように思う。

★2.死人と向き合う納棺という仕事の中で、納棺夫、青木新門氏は何を感じ、考えたか

以下本書の中から、氏が納棺という仕事をして、遺体を何度も納棺する間に、どのように感じ、どのように思索したか、カギと思われた部分を、本書の中から、引用する。

◆1)『・・・終戦とともに、・・・全てが逆転し、とにかく生きることが善であり、死はいかなる形であれ醜悪とされていく。』(60頁)

2)『それどころか今日の医療機関は、死について考える余地さえ与えない。
周りを取り巻いているのは、生命維持装置であり、延命思想の医師団であり、生に執着する親族である。
死に直面した患者にとって、冷たい機器の名kで一人ぼっちで死と対峙する様にセットされる。しかし、結局は死について思うことも、誰かにアドバイスを受けることもなく、死を迎えることとなる。
誰かに相談しようと思っても、返ってくる言葉は「がんばって」のくり返しである。・・・・美しい死に方どころでないのである。・・』(64−65頁)

※(筆者注)現代のこのような死期を想像すると、誰しも、ぞっとして、自分の死期が不安になる。

3)『死者と毎日接しているうちに、死者の顔のほどんどが安らかな顔をしているのに気づいた』(72頁)

※これで少し安心する。

4)『人々が、死をタブー視することをよいことに、迷信や俗信が魑魅魍魎のようにはびこり、・・・地方色豊かに複雑怪奇な様相を呈している。こうした葬送儀礼様式や風習が生まれる原因も、元はといえば「われわれはどこから来るのか、我々は何で、我々はどこへ行くのか」があいまいであることからきているのである。(82頁)

※どうやら葬送儀礼や死に対する考え方が、人や地方によって種々異なるのはここに原因がありそうだ。

5)『今日のところ科学は、我々が想像もつかない遥か彼方までまで歩を進めていることも事実である。量子理論の生みの親のシュレディンガーなどは
『主体と客体は、一つのものである。それらの境界が、物理科学の最近の成果でこわれたということではない。なせなら、そんな境界など存在しないからだ。』
と言い、今日の最先端をゆく科学者は、この世界が一如であると、とらえはじめている。(128頁)

※斉藤が何度も先述しているように、目に見えない微細な分野を研究する量子物理学の進展によって、科学も進化し、この世界が一如(すべてにつながりがあり一体である:物心一如)であることが分かってきた。

6)『(宮沢)賢治は、きれぎれの考えやあらゆるものが一瞬ぽかっと光る一つのところへ収斂されてはじめて統合が可能だと思っていた。』(143頁)

※この断片的な考えやあらゆるものがぽかっと突然「統合されて、一如として」分かってくる時が来る。この「統合、一如」とはいったい何であろうか。科学はここまで到達した。科学の先の死生観の形成は、各人の真摯な学びと体験によって磨かれた理解、洞察、英知、意識による各自の判断次第となるだろう。なぜなら、人間の磨かれた精神、意識と言う測定器は、科学の測定器よりも精密な場合があるからだ。

★3.明るい死生観の形成:生と死は、人にとって、表裏一体であり、昼の活動、夜の睡眠に似ている。

そこで、私、斉藤の場合の学びと体験を例に、私の死生観について書いてみたい。各自の明るい希望ある死生観の形成の参考になれば幸いである(先述の斉藤論文より抜粋)

このような生と死と言う分野に私が興味を持つようになったのは、今から、約23年も前の1986年頃、私が、東京の上智大学で、ホスピス終末期医療の研修を受けたのがきっかけだった。講師とテーマは、「死の哲学」の権威、当時、上智大学文学部教授のアルフォンス・デーケン氏(ドイツ) による「デス・エデュケーション」(死への準備教育)」セミナーだった。

デーケン氏のユーモア溢れる講演「私は何もデーケン」(笑)は、今でも思い起こす。(同氏著書は「死とどう向き合うか (NHKライブラリー)」など。(日赤病院でのデーケン教授、記念講演要旨「こころの癒しとユーモア」は今も残っているhttp://www.icntv.ne.jp/user/alpha/tusin/tusin18.html )
その後、この分野の世界的研究者、精神科医エリザベス・キュブラー・ロス博士の著書「死ぬ瞬間」(中公新書)はじめ、この分野の本を貪るように読んで研究した。(正直のところ、キュブラー・ロスの本では、あまり明解には分からなかった)。以来、20年、下記のような認識に到達したのだった。結局、死後に希望を持つ人は、明るく前向きに生きることが出来ると言う事だった。

そして、その間に出会った印象的な本は、下記の武士が書いた書であった。

江戸時代後期に、吉田松陰、坂本竜馬らに多大の影響を与え、武士3000人の弟子を養成したと言われる代表的な学者(武士)、当時の名メンター、佐藤一斎(1772-1859)は、名著「言志四録」の中で述べているように、生と死は、覚醒(活動)と睡眠に似ている。生と死は、表裏一体であり、お互いに助け合い、人を進化させることができる。丁度、昼の充実した活動が、夜の快い深い睡眠を迎え、快い深い睡眠が、次の日の一日進化した充実とした新しい日の活動を迎えるように。(下記の斉藤論文、「生と死の意味」)
http://esaitou.c.ooco.jp/080216-2seito-si-2.html

つまり、覚醒と睡眠は、一日のミニサイクル(リズム)、生と死は、現在の肉体を着た人間の一生のサイクル(リズム)なのだ。人間の本体中の本体(自分自身、self)は決して消えることはなく、永遠に進化を続けていく存在なのである。死は、現在の肉体と言う着物を脱ぎ捨て、死と言う睡眠に入る。それは、自分自身は、進化して、次に与えられる人間の肉体の着物を着るための準備である。

★4.生の意味:人は、生きている間に、最善、最美の人生を創れる権利と責任がある

人は、一年に365日、365回、活動(昼)と睡眠(夜)のリズムを繰り返し、進化し、一生にその百倍近く、活動と睡眠を繰り返し、死を迎えてその肉体をまとった人間としての一生を終える。活動するのも睡眠をとるのも同じ人間の本体なのだ。

同様に、人間も死ぬことは、その与えられた着物を脱ぎ捨てることだ。そして、睡眠に入り、次の別の着物を着て生きる。これを繰り返し、進化して、やがては我々を生み育てた荘厳、偉大な大自然、宇宙と一体化して進化して行くのである。

これが荘厳、華麗で美しい人間のドラマなのだ。だれでもどのような人でも、この荘厳で華麗で美しいドラマの主人公の一人なのだ。

従って、生の意味は、この中で、生に与えられた学び、仕事、生活、役割、使命を全うし、その責任を果たすことである。


以上、各自の明るい希望ある死生観の形成の参考になれば幸いである。

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