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●日本人の無宗教は、世界の対立を解決し、世界に平和をもたらし、世界のスタンダードとなる日〜宗教学の第一人者、島田裕巳氏が熱く語る

★1.日本人の無宗教を高く評価する本書との出会い

宗教学の第一人者、島田裕巳氏は、最近の著書「無宗教こそ日本人の宗教である」(角川グループパブリッシング)は誠に興味深い。この本の帯や表紙、裏表紙には、次のようなことが書いてある。
「日本人の宗教観は正しかった!
宗教の対立は、無宗教が解決する!
無宗教が世界のスタンダードとなる日。
日本人はなぜ無宗教か?それが最も理に適っているからだ。・・・・・」
                                  
先週日曜日、いつもの日課で、近くの書店に行ったとき、家内がこんな本が出ているよと言って私に教えてくれた。上記の表紙、裏表紙を見て、とても共感できそうな本だったので早速買って、数日後、一日かけて一気に読んだ。

この本には、無宗教について、私が、日ごろ思い、言いたかったことを、宗教学者として、見事に代弁して言ってくれているような気がした。このように日本第一級の宗教学者が、日本の無宗教を高く評価してくれたことは、日ごろ私が思っていたことだけに、とてもうれしかった。また、記憶されているかたもおられると思うが、島田浩巳氏が宗教学を研究している間に、ある大学の教授職を辞任せざるを得なくなるなど、様々な苦難の末、ついにこの境地にたどりついたかと思うと、感無量である。

★2.日本人の宗教観とは

2008年5月の読売新聞の実施した宗教観についての調査では(20歳以上男女3000人を対象)
「あなたは何か宗教を信じていますか」の問いに、
「信じている」 26.1%
「信じていない」71.9%

つまり、「無宗教」が70%を超え、「無宗教でない」が、30%以下という結果だ。世界で比較しても、日本人の信仰率は際立って低いと言う。

それでいて、同じ読売新聞の調査で、73.1%が正月には初詣に行くと答え、78.3%が盆や彼岸などに墓参りに行くと言う。
こうした行為は宗教ではなく、たんなる習俗だとも言えるが、こうした宗教的な行為は、世界的にも際立って高く、宗教心というか、天に対して敬虔な心という点では、世界的にも、極めて熱心のようだ。

日ごろ、無宗教を公言しながら、正月には多くの人が初詣に神社や寺院に出かけ、クリスマスにはキリスト教でもないのに、クリスマスを祝い、結婚式はキリスト教式か神道式、地鎮祭には神主を呼び、葬式はお寺に行く。外国人から見たら驚異だそうだが、我々、日本人からみても、少し無節操かなと思うくらいだったが、別の面から言えば、他人の考えや教えを排除しない寛容さと優しさともいえる。

まさに日本人の宗教観とは、無宗教と公言しながらも、私が先日述べた、敬虔で優しく寛容、理想的モットー西郷隆盛の「敬天愛人」(天を敬い人を愛する)そのものではないか。

宗教学者の島田先生から見れば、無宗教が日本人の歴史と伝統から見て、正解だという。さらに、この日本人の宗教観、無宗教、が、世界の宗教の対立を防ぎ、世界平和に向けての世界のスタンダード(理想的な標準モデル)になり得るというのだから、ますます本書への興味がそそった。

★3.私がなぜ無宗教を選んだか

私もこの本に大いに共感した。私自身もご承知の通り、これまでの論文の中で何度も私が無宗教であることを述べてきたし、無宗教が一番良いことを述べてきたからである。
そこで、まず、私がなぜ無宗教を選ぶに至ったかを説明しよう。
私がこのように言うのも、食わず嫌いで言っているのではなく、宗教で、17年間も苦闘と葛藤した経験の末に、無宗教の選択した経緯があるからだ。

私事で恐縮だが、いまから、45年前の1963年、23歳のとき、自分の生き方に自信を失い、近くのキリスト教会に行き、キリスト教(プロテスタント)に入信し、クリスチャンとなった。それ以来、1980年、40歳の時に、退会するに至るまで、17年間、熱心なクリスチャンとして、教会学校教師や教会役員(長老)も務めた。その間、旧約聖書から新約聖書までの1700頁を超える分厚い聖書も暗記するほど読んだ。私の論文に聖書の言葉が時折でるのはそのためであろう。
プライベートになるが、妻も当時、神学校に入った程の熱心なクリスチャンで、教会が縁で出会い、教会で結婚式を挙げた。

17年間の信者生活で、良い点もあった。毎週仲間と会える事や、賛美歌という歌を歌えること、世界的視野、特に、聖書を基本とする西洋の考え方に目が開けたこと、などである。

しかし、教義という思考の枠(フレームワーク)内で満足できるうちは良かったが、自分の思考が、それを超えたとき、自由な発想や思考ができなくなり、非常な窮屈さと制限を感じた。妻も私より先にそれを感じていたようだ。
妻からの提案で、私も同意し、キリスト教会からの退会を決意し、1980年、いまから28年前に40歳の時に退会した。

そのとき私は感じた。教会の良いところも悪いところもあるが、私は宗教を卒業したのだと。それ以来、私は無宗教である。そしていま私も妻も、無宗教の良さと自由を味わっている。

そして、宗教学者、島田浩巳氏は、初めてこの日本の無宗教を高く評価してくれたのである。これは世界の中でも画期的な本になると思う。

★3.島田先生の本書、私の論文、ラズロ教授(先述)らの目指す方向は共通

島田先生のこの本を読んで非常に感動したのは、島田先生の目的、私の目指す目的、先述のアーヴィン・ラズロ教授(下記注1)の目指す目的と、それぞれ違った道を歩みながら、極めて共通していることを見出したからだ。

注1:新しい読者のための参考:アーヴィン・ラズロ、ニューヨーク州立大学教授、ベルリン国際平和大学教授、国連顧問を経て、世界平和と持続的進化を目指し世界をリード、ノーベル平和賞受賞者7人を含む世界叡知会議WWCを主宰、地球環境悪化防止の京都議定書の生みの親、ローマクラブ報告書「人類の目標」の執筆者。)

それでは島田先生の本書の趣旨と比較しながら、その共通する趣旨と目的を見てみよう。

最近の世界で起こっている紛争、内乱、戦争などで誰もが心を痛めているが、これらの原因が、イスラム原理主義、キリスト教、ユダヤ教など、自分たちの宗教を絶対化し、他の教えを排斥することからきていることを認めざるを得ない。そのことから島田先生は次のように述べている。

「極論すれば、宗教さえ存在しなければ、世界は平和だと言える。宗教は、自分たちの教えを絶対化し、信仰対象を徹底して神聖なものとして祭り上げることで、他の宗教と相いれなくなり、対立を生むどころか、それを強化している。そうした宗教の持つ排他性がなくならない限り、本当の意味で、世界平和は訪れない。」(同書152頁)

このように世界情勢を見るに、世界平和を実現していくためには、それを妨げるひとつの大きな要素が宗教である、なぜなら、世界平和を阻害しているものは、他を認めない、自分だけを絶対化する宗教にあると、島田先生は考えている。

★4.自己の絶対化、排他性の限界を超える無宗教

島田先生によれば、宗教と言う言葉が使われるようになったのは、明治時代になってからのことで、宗教と言う概念は西洋からもたらされた概念であり、ひとつの独立した宗教世界という意味である。それで次のように述べている。

「宗教と言う言葉が入ってくるまでは、仏教と言う表現もあまり使われてはいなかった。それも、宗教と言う言葉が存在しない時代には、仏教は宗教としてとらえられていなかった。実際、仏教は、「仏法」、「仏道」と呼ばれ、ひとつの法なり、道なりとされていた。仏法の法は法則であり、法律である。道は進むべき方向であり、武道や茶道と同じ意味合いを持っていた。」(同書44頁)

神道も元から習俗や習慣であって、これだけを絶対化し他を認めないというものではない。
以上の点から次のようにその限界を超えるものとして次のように述べている。

古来、日本人が好きな言葉として、「無私」、「無念」、「無想」というように、「無」という概念があるが、これは私心や我欲、雑念を無くして素直な心で考える、「虚心坦懐」(何のわだかまりもないすなおな心で、物事にのぞむこと)と同じような意味だ。この「無」の可能性について、島田先生は次のように言う。

「日本人が無に求めてきたのは、私という限界を超えることである。もっと広い世界、もっと豊かな世界に出て行くことをなんとか可能にしようということのはずである。限界を設けないことで、本当の自由を得ていく。そうした可能性があるからこそ、日本人は無ということに強い魅力を感じてきたのである。」(同書96頁)

★5.限界を超えて、自由と平和と幸福の世界に
このようにして、無を求めることによって、広い自由な世界に出て本当の自由を得ていく。そこには、自分と他人を隔てる壁もない。それを次のような言葉で述べている。

「私たち日本人は、無ということに限りない魅力を感じてきた。そこに、果てしない広がりを感じてきた。無の世界では、あらゆるものが溶け合い、自己と他者を隔てる壁も、宗教や思想、信条が隔てる壁も、民族や人種、国家につきまとう壁も、すべては消え去っていく。そこには、無限の自由がある。」(同書164頁)

★6.無宗教によって見えてくる自由、平和、幸福の可能性

本書の結論として島田先生は次のように述べている。

「転変する世界を前にして、私たちは、自分を無にしていったいそこで何が起こるのかを見ていかなければならない。その流れに身を任せつつ、常に覚めた目を持ちながら、何ものにもとらわれず、進んでいかなければならない。・・・

日本人は、今、無宗教であることの幸福を認識し、そこから次のステップを踏み出して行かねばならない。世界は果てしなく広がっている。・・・可能性はそこしかないとも言える。無宗教についての考察ははじまったばかりなのである。」(同書164-165頁)

つまり、いま、ここで発見しながら進んでいる道とまったく同じなのだ。驚嘆するばかりだ。なにか、島田先生に後押しされたような応援されたような感じだ。このように世界が同じ方向に向けて進んでいることを実感するのだ。そしてその大きなうねりのなかに大きな希望を持っている。世界は、いま、さまざまな危機に直面しながらも、本質の流れをよく見れば、間違いなく進化しつつあるのだ。

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